加茂市について

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加茂市について

加茂市とは

新潟県のほぼ中央に位置する加茂市。
神⻲3(726)年に創建された⻘海神社は、延暦13(794)年に京都賀茂神社の社領となり、御分霊を合わせまつることに。そこから、”加茂”と呼ばれるようになりました。
加茂市は古くから北越の小京都と言われ、古都をしのばせる落ち着いた佇まいを見せる地域。
そんな加茂市で、“加茂桐簞笥”は生まれました。

加茂市で桐簞笥が盛んになった理由

加茂市は、三方を緑の山でかこまれ、その一方の県立自然公園の粟ヶ岳から流れ出る加茂川が市街地を流れ、市街地を縦貫して、信濃川に注ぎ、河船の往来も盛んで、山から切り出す材木の集散地として栄えました。

加茂市の総面積の7割が山間地帯であることから、古くから天然桐が豊富だったことは日本一を誇る理由の一つです。その桐材の特性を生かした衣類、医薬品、書画骨董等の保管保存用の箱物が指物師により作られ始めました。

ほぼ800年前の平安時代の末期頃から、越後地方の武家に加茂産の⻑持や鎧櫃(よろいばこ)が用いられていました。その後衣類の保存収納用として広く庶⺠に用いられるようになりました。

ほぼ800年前の平安時代の末期頃から、越後地方の武家に加茂産の⻑持や鎧櫃(よろいばこ)が用いられていました。その後衣類の保存収納用として広く庶⺠に用いられるようになりました。

加茂で桐簞笥が作られるようになったのは、江戶時代中期。
天明3(1783)年に加茂の大工・丸屋小右エ門が杉材で簞笥を作ったことが始まりだといわれています。
その後、文化7(1810)年からは桐材で簞笥を作るようになっていきました。

市内の旧家に簞笥の裏板に文化11年(1814年)購入と記された桐簞笥が現存します。文政3年(1820年)頃には、桐箱や桐簞笥類が船積みされ、加茂川から信濃川に出て、新潟や東北方面へ移出されたといわれます。

江戶時代の末期に加茂桐簞笥として、全国に名を馳せました。

江戶時代の末期に加茂桐簞笥として、全国に名を馳せました。